ご訪問をありがとうございます。ホフクです。
AERA.dotが、2022年7月5日付で『「独身おじさん友達いない」問題が意外に深刻、「会社以外ではいつも一人ぼっち」の中年男性はどうすればいいのか』という記事をだし、大きな話題となっています。
でも、これってよくありそうなことですよね。私も会社では競争で仲間としては仕事しているけど、心底は信用できていない。頭脳明晰でないため、休日は勉強です。しかも、歳をとるごとに友達とは、疎遠になる。誰かと知り合うすべがかなり少ないです。
この問題の渦中にいるおっさんが、緩く考えてみました。
多様性の時代
本人が友達が欲しいのにできない場合
多様性の時代と言われていても、これは本人にとって大きな問題で本人の心持ではどうにもならないかもしれないです。
そして、本人は孤独で社会の助けを必要としている方かもしれないし、社会問題にも発展するかもしれないです。
この問題だけではなく、他の悩みや不安でもそうだが、社会は手を差し伸べるべきだと考えます。
本人が友達が欲しくない場合
多様性の時代です。いなくても本人が望まないであれば問題ないでしょう。
幸か不幸かは自分が決めるものと思います。
それに、会社または社会での業務または仕事や、人が集まるイベントに参加していれば、最低限の人との関わり合いはできると考えます。
友達がいること、友達がいないこと
ここで、友達がいる、いない、その上でのメリット、デメリットを考えてしまいます。そこで、整理という意味で、これらをまとめてみたいと思います。
友達がいること
メリット
デメリット
友達がいないこと
メリット
デメリット
友達がいること、友達がいないこと
こう見てみると両方とも一長一短です。年齢を重ねても友達が増えていく方もいますし、友達がいなくなる人もいます。
自分が友達をほしいのか、友達を作る能力があるのか、そうでないのかを見極めつつ、どのような状況が幸福なのかを考えて、行動することが重要だと考えます。
おっさん、友達いない問題と「嫌われる勇気」
本書は、アドラー心理学を基に、青年と哲人の会話をとおして、話が進んでいきます。とても示唆に富み、私自身、課題の分離の考え方は、実践していたところもあるので、後ろ盾をいただいた感じがして安心したのを記憶しています。
本書の中から、友達いない問題に関するところだけ抜粋して紹介したいと思います。
すべての悩みは「対人関係の悩み」
…孤独を感じるのは、…、あなたを取り巻く他者、社会、共同体があり、そこから疎外されていると実感するからこそ、孤独なのです。われわれは孤独を感じるのにも、他者を必要とします。人は社会的な文脈においてのみ、「個人」になるのです。
嫌われる勇気
…個人だけで完結する悩み、いわゆる内面の悩みなどというものは存在しません。…
これがすべてだと思います。人は他者との関係において、優越感、劣等感、焦燥感、悩み等の多くを持つものだと考えます。
本書のとおり、孤独感もそうで、社会、他者があるのにもかかわらず、自分がそれと繋がっていない、疎外されていると思うから、負の感情を抱くのだと考えます。つまり、問題と捉えてしまいます。
大事なことは、今の自分自身を生きることが幸せということなのでしょう。
優越性の追求と偽りの優越感
…人は無力な存在としてこの世に生を受けます。そしてその無力な状態から脱したいと願う、普遍的な欲求を持っています。アドラーはこれを「優越性の追求」と呼びました…
嫌われる勇気
多様性の時代、友達がいようが、いまいが結局は自分の心持次第、とはいうものの、無いよりあった方が良いというのは世の常、世間との関係で友達がいる方がよいもの、優越感を得られるものなのでしょう。
ただ、これも他者基準である点で、自分自身が幸せなろうとするベクトルとは異なりますね。つまり、友達が多くいることで優越感にひたるのであれば、それは本書で言う偽りの優越感となります。
似て異なるのが優越性の追求で、自分自身のベクトルを進むことでこれまでの自分と比較して優越していることが重要だと考えます。なぜなら、他者との比較には限界がないため、自分が焦燥するからです。
劣等感と劣等コンプレックス
健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。…われわれが歩くのは、誰かと競争するためではない。いまの自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値があるのです。
嫌われる勇気
劣等感は、理想に対して劣っているかのような感覚を抱き、努力や成長の促進剤になるものをいいます。一方、劣等コンプレックスは、自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めた状態をいいます。
これまでのとおり、大切な基準は自分自身なんですよね。上を見ても、下を見てもきりがない。もうおわかりですよね。劣等コンプレックスを抱くのは無意味です。つまり、友達がいないことに劣等コンプレックスを抱く必要なんてないのです。
自分を認めてあげること
…自分のありのままを受け入れ、…前に進んでいくこと…。われわれは「何があたえられているか」について帰ることができません。…「あたえられたものをどう使うか」…自分の力によって変えていくことができます。…「変えられるもの」に注目するしかないでしょう。
嫌われる勇気
結局、人は完全なものでない。それを受け入れて、自分に対して優しくできる人、自分ができることに集中できる人は、他者に対して、優しく寛容であることができると思います。友達ができるかどうかは、運の要素もありますが、友達がいないことを問題と捉えないのではないでしょうか。
まとめ
おっさん、友達いない問題と嫌われる勇気はリンクする印象を持ちます。
他者は対等として意識して、自分に集中して前進していけば、この問題が本当の意味で問題であるのであれば、少しは解消していくのではないかと思います。
ただ、嫌われる勇気に記載されるような承認欲求を無くすこと同様に、理屈と感情は異なるので難しいのではないかと思います。
友達いない問題は、本書のとおり実践できれば、本人の心持で気が楽になるまたは強く持てると思いますが、他方で社会が何らかのかたちで手を差し伸べる環境で会ってほしいなと考えます。
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